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相談援助の基盤と専門職 後期第10回 講義レジュメ・前半 11/29*社会福祉士養成学科

相談援助の基盤と専門職 後期第10回 講義レジュメ・前半 2010/11/29
*社会福祉士養成学科
*相談援助の形成過程(ソーシャルワーク史)・続き
*補足:イギリス等における社会福祉の史的展開―ナショナルミニマム、福祉国家に向けて
<工場法 factory acts >

 世界最初の労働者保護の法令として,イギリスに登場した。修正を繰り返し、年少労働者の夜業禁止,労働時間制限,女性の労働時間制限や安全条項なども加えられていった。

*1802年 「徒弟の健康及び道徳法」
 年少徒弟の労働時間を12時間に制限。学習の義務等。
*1819年、工場法
 9歳以下の子どもの雇用の禁止、18歳以下の労働者の労働時間が12時間に制限。
*1833年 工場法改正
 年少労働者の夜業禁止,労働時間制限。監督制度。
*1844年  工場法改正 
 8~13歳の労働時間を6時間半に制限。女性は12時間に制限
*1847年  工場法改正
 女性・未成年に対する一日10時間以内の労働制限

*友愛組合による共済活動
・ 友愛組合;経済力のある労働者による共済、相互扶助組織。経済力のないものは加入できず。労働者相互で民間の疾病保険を提供。

社会福祉調査の源流―貧困調査の開始― 
*社会調査の源流として、次の調査を挙げる場合が多い。
・ジョン・ハワード(ホワード) 1770年からの監獄調査。 
 監獄の非人道的状態の放置を、イギリス、イタリア、ロシア、フランス等の現地の踏査により明らかにし、改善を訴えた。 

・ル・プレイ(プレー) (フランス) 『ヨーロッパの労働者』」
 労働者家族調査、家族を調査単位に金銭出納簿調査。1829年から。

・メイヒュー。貧民調査。貧民の状態を記述した。

・エンゲルス
 1845年『イギリスにおける労働者階級の状態』 Condition of the Working Class in England in 1844
 都市の貧困者の調査、都市の人口やその状態の詳細などを考察した。

*1886年~ C.ブースのロンドン調査
 C.ブースのロンドン調査が1886年から1902年に行なわれた。

*1899年~ B.S.ラウントリーのヨーク調査(第1回
 ラウントリーは、第1回のヨーク市調査(1899年)において、貧困線の水準を設定した。

<ナショナルミニマムの登場>
*1905年、救貧法に関する王立委員会の設置
*1909年、救貧法に関する王立委員会報

 「新救貧法(1834年)」の見直しのために、1905年に保守党内閣(イギリス)が設置した委員会が1909年に提出した報告書。
 委員会は新救貧法法による救済委員会,教区連合,一般混合の労役場(ワークハウス),劣等処遇等の弊害を変更する必要性では一致した。しかし改正方法では,救貧法の枠内の微温的改良を主張する多数派と救貧法の解体をめざす少数派が鋭く対立した。報告は両論併記したため,当時の政治状況ともあいまって具体的改正に結実しなかったが,ニーズに即した普遍的サービス保障,窮乏の予防の組織化によるナショナル・ミニマム保障などの少数派(ウェッブ等)の主張は,その後のイギリス社会保障の確立に多大な影響を与えた。

<自由党政府による社会改良
*1908年老齢年金法。(無拠出制)

*1911年国民保険法 (疾病と失業保険)。世界で初の失業保険。

*1942年、ベヴァリッジ報
 第二次世界大戦後はベヴァリッジ報告にもとづき、社会保険でナショナル・ミニマムの基本二一ズを保障し、不足する部分を公的扶助で、超過する部分は任意保険でまかなうという方法で、いわゆる「ゆりかごから墓場まで」といわれる福祉国家が成立した。

*1948年、国民保健サービス National Health Service ; NHS
 ベヴァリッジ報告を踏まえ成立した医療保障制度。予防からリハビリテーションまで含む包括的な保健・医療を,税方式に基づき原則無料で提供している。患者はまず地域の家庭医(GP)の診察等を経て病院の医師にかかるのが原則。保守党政権は国営医療の効率化を図るため1990年の制度改正で病院間競争を促す仕組を導入したが,政権交代後も大枠を維持しつつ計画的な医療供給がめざされている。

*1948年、国民扶助法の成立
 国民扶助制度の成立により、救貧法が廃止された。


<前回の講義レジュメ・練習問題 下記をクリック>
社会福祉士受験支援講座・教員日記 : 相談援助の基盤と専門職 後期第9回 講義レジュメ・前半11/22*社会福祉士養成学科
社会福祉士受験支援講座・教員日記 : 相談援助の基盤と専門職 後期第9回 講義レジュメ・後半 11/22*社会福祉士養成学科

社会福祉士受験支援講座・教員日記 : 相談援助の基盤と専門職 後期第10回講義 練習問題 11/29*社会福祉士養成学科




*レジュメ続き・用語解説は下記をクリック



*ブースBooth, Charles (1840-1916)
 社会改良を目的とする社会調査の先駆者である。私財を投じて「ロンドン調査」として知られる貧困調査を行い,その結果を『ロンドン市民の生活と労働』』(Life and Labour of the People in London, 17 vols., 1902-03)として報告した。
 貧困問題がたんに慈善の対象ではなく,国家の施策として取り組むべきものであることを明らかにし,無拠出年金制を提案。救貧法に関する王立委員会に参加し,救貧法の抑圧的方法を批判するなど,20世紀初頭のイギリス救貧行政に貢献した。

*ラウントリー (1871-1954)
 イギリスの社会調査家。ローントリーとも表記される。ヨーク市で貧困線と最低生活費の測定を行うとともに,労働者のライフサイクルと生活水準の間に周期的な変動があることを明らかにした。また,生活保護基準算定のマーケット・バスケット方式の考案者として,わが国にも影響を与えた。

*第一次貧困/第二次貧困
 ラウントリーが,『貧乏――地方都市生活の研究』(1901)で,貧困層の量だけでなく質を把握するために用いた,貧困の区分。
 第一次貧困とは,世帯の総収入が,家族員のたんなる肉体的能率を維持するための最小限度にも足りないほどの貧困であり,第二次貧困とはその収入の一部が他の費途に転用されないかぎり,たんなる肉体的能率を保持できる程度の貧困をさす。
*マーケット・バスケット方式
 最低生活費の算定方式の一つ。イギリスの貧困研究者のラウントリーによって考案された方法に起源をもつ。家族の最低生活費は,栄養要求量をもとに飲食物費を決定し,その他の被服,雑費等を必要費目として、その金額を合計し算定したものである。

*解説:社会改良  social reform
 社会問題や社会の矛盾を解決するために,革命という急進的な手段で社会体制を変えるのではなく,欠陥を是正し,修正するなどの漸進的な方法で社会を改善しようとすること。
 19世紀末から20世紀初頭にかけてのソーシャル・セツルメント運動などが代表であり,教育・宣伝的方法,議会活動などを通して,社会政策や社会福祉政策などに影響を与えることを目的としている。

○解説:ナショナル・ミニマム
 国家がすべての国民に最低限の生活を保障すべきという理念。この理念は,シドニー・ウェッブが最初に提唱したとされる。ウェッブによれば,ナショナル・ミニマムとは,最低賃金などの所得保障にとどまらず,最低限の教育,衛生,余暇を含むもので,雇用条件,衛生的環境と医療サービス,余暇とレクリエーション,教育の分野で,国や自治体が,ナショナル・ミニマムを維持する必要があると主張した。その後,「ベヴァリッジ報告」(1942年)に「最低生活費保障原理」として取り入れられ,イギリスの福祉国家の基本理念となった。もっとも,ナショナル・ミニマムは一つの理念であり,その基準は,歴史的,社会的にも規定される。

○解説:ウェッブ夫妻
 フェビアン協会のメンバーとして活動し,労働組合運動や消費組合運動の発展と議会制民主主義に基づく社会正義をめざした。最低賃金,労働条件の改善や,住宅,医療,教育,年金などを包括するナショナル・ミニマムの保障を説いた。また,救貧法改革王立委員会のメンバーとして少数派報告をまとめ,第二次世界大戦後の福祉国家の誕生とその理論的な発展にも大きな影響を与えた。

○解説:ベヴァリッジ報告 
 1942年,第二次世界大戦後のイギリス社会再建のための社会保障計画を提示し,乱立し非効率な既存制度の再編をねらった,ベヴァリッジ(Beveridge, W. H.)を委員長とする委員会の報告書。正式には,「社会保険および関連サービス」(Social Insurance and Allied Services)。再建目標を五つの巨人(疾病,無知,不潔,無為,窮乏)への攻撃にたとえ,それぞれに対する社会政策が相互に機能すべきとした。窮乏に対する所得保障には社会保険を重視し,その基本原則にナショナル・ミニマム保障や均一給付・均一拠出等を掲げた。
 報告書は、①リハビリテーションを含む包括的国営医療サービス、②多子家族の所得保障として第2子以降への児童手当、③失業率を一定限度以下とする完全雇用政策を前提とし、年収75ポンド以下には加人の選択権を認めつつ、強制的拠出原理に基づく総合的社会保険の加入を義務づけている。
・イギリスの戦後の社会保障は,ベバリッジ報告をもとにして制定された,家族手当法,国民保険(業務災害)法,国民保険法,国民保健サービス法,国民扶助法の諸法によって運営されることとなった。
 この体系では,社会保険制度を中心におき,公的扶助制度は,社会保険制度の網の目からこぼれるケースを扱う補完的な制度として位置づけられた。
*「ゆりかごから墓場まで」
 イギリスにおいて,1942年にベヴァリッジ報告がだされた後に確立した包括的社会保障体制を言い表したことば。人が生まれてから死ぬまでの必要最低限の生活保障を,保健,医療,所得保障などの社会保障制度を国家責任のもとで実施することによって保証するという考え方。

*1966年、補足給付 supplementary benefit
 イギリスの国民扶助制度では漏救が問題になったため,給付手続の簡素化や資力調査の緩和,また,裁量的な加算給付の範囲を狭めて給付の標準化を図ることなどを目的として,この公的扶助制度が発足した。しかし,しだいに制度が複雑化するとともに,個別の必要に応じるための割増金が増えて恒常化したことや年金受給世帯に比べて有子世帯が不利に取り扱われていたことなどから,1988年、所得補助・社会基金制度に改められた。


<イギリスにおける諸報告>
*1968年、シーボーム報告 
・1968年にイギリス政府に提出された公式報告書(Report of the Committee on Local Authority and Allied Personal Social Services)。フレデリック・シーボーム(Seebohm, F.)を委員長とする委員会であり,地方自治体の対人福祉サービスの組織と責任についての再検討,および家族サービス活動の効果的な実施を保障する改革案の考察を目的とした。地方自治体において別々に運営されていた対人福祉サービス部門を単一の部局に統合し,地域のニーズに総合的に対応するソーシャルワーカーを配置することなどを提言している。

*1978年、ウルフェンデン報告
・多元的な福祉システムにおけるイギリスのボランタリーセクターの役割について報告書(Wolfenden  Committee Report)。民間財団の委託を受けた委員会(座長:ウルフェンデン卿Wolfenden, J. F.)によってまとめられ,1978年にThe Future of Voluntary Organisationsとして発刊された。硬直的・官僚的な公的セクターや未組織のインフォーマル・セクターなど多元的な福祉システムのなかにあって,個人のニーズの充足や,援助を求める者とボランティアとの橋渡しなど,補完的,先駆的,仲介的な役割を果たすことをボランタリー・セクターの将来の方向性と位置づけた。公的資金によるバックアップや媒介団体の役割強化なども提言されている。

*1982年、バークレイ報告
・イギリスにおけるソーシャルワークの現状と課題について検討するために設けられた政府委員会(座長:ピーター・バークレイBarclay, P.)による報告書(Social Workers : Their Roles and Tasks)。1982年に発表。コミュニティ・ソーシャルワークの可能性に言及し,ソーシャルワーカーの役割について,伝統的な個人や家族に対するケースワークだけでなく,コミュニティにおける多元的な福祉システムのなかで,資源と個人・家族を結びつけ,ネットワークを開発・発展させるためにカウンセリングとソーシャル・プランニングの両方を求めるとともに,官僚主義的なシステムの改善,チーム・アプローチなどを提案している。しかしながら,報告書としての見解は統一されず,伝統的な個別援助を重視する立場からコミュニティへの期待を疑問視するピンカー委員からの反対意見など三つの報告が併記された。


*1988年、グリフィス報告
・イギリスのコミュニティ・ケア政策のあり方について政府の諮問を受けたグリフィス卿(Griffiths, R.)による報告書(Community Care : Agenda for Action)。1988年に発表された。コミュニティ・ケアに関して地方自治体が責任をもつこと,サービスの購入者と提供者を分離し,地方自治体は個人のニーズのアセスメントに基づいて必要なサービスを営利・非営利を含む多元的な供給主体から購入することなどが提案され,効率的な資源供給のためのケアマネジメントの重要性が指摘されている。その提言の多くが,NHS・コミュニティケア法(1990年)へとつながった。

*1990年、国民保健サービス(NHS)・コミュニティケア法 National Health Services and Community Care Act  国民保健サービス(NHS)と,コミュニティケア・在宅福祉サービスの総合的な調整を図ることを目的に成立した。ノーマライゼーションと福祉多元主義の考え方を基礎に,医療の民営化(内部市場化),インフォーマル・民間部門の促進とネットワーク化,中央・地方政府における財政責任と運営責任の明確化,ケアマネジメントの徹底化を図り,日本の介護保険制度の手本にもなった。
by yrx04167 | 2010-11-29 12:24 | Comments(0)