講義:相談援助の基盤と専門職 後期第1回 レジュメ 9月27日*社会福祉士養成学科

相談援助の基盤と専門職 後期第1回 講義レジュメ 
3章 相談援助の形成過程Ⅰ
1節 ソーシャルワークの源流(2)テキストP45
*社会変動に伴う対応
<初期の救貧の法制>

 16世紀になり、住居を喪失した貧民が増加した。これには、農地の囲い込み・自営農家(ヨーマン)の減少・食糧不足等の影響があった。ヘンリー8世の治下、1531年には王令によって貧民を、病気等のために働けない者と怠惰ゆえに働かない者に分類し、前者には物乞いの許可をくだし、後者には鞭打ちの刑を加えることとした。1536年、この王令は成文法化され、物乞いを禁止した。
その後、1572年、健常者貧民への笞打ちなどを禁じ、各教区・都市に救貧監督官をおいた。

*エリザベス救貧法の完成 (1601年)
<ポイント>

・労働能力の有無を基準に、①有能貧民、②無能力貧民、③児童の3種類に分け、就労を強制したり、教区徒弟として送り出した。救貧法に基づく制度は、教区ごとに救貧税を徴収して救貧事業を行うものであった。
<解説>
 都市における住居喪失者、貧民の増加などにより、イギリスでは「物乞い」行為に関する禁止・許可制に関する救貧立法、また各地方の個別の救貧行政が行なわれていたが、手に余る教区・都市も出始めていた。
 そこで1601年、「エリザベス救貧法」として知られる救貧立法の集大成がなされた。

◎エリザベス救貧法は当時の公的救済制度の基本法であり、教区を救貧行政の単位とし,治安判事の監督のもとで,貧民監督官が貧民の保護・監督の責任を負い,その費用としての救貧税の課税・徴収を行った。労働能力のない貧民には扶助が与えられ,労働能力のある貧民には就労が強制され,これを拒否する場合は処罰された。両親に扶養義務を期待できない児童は徒弟にだされた。
・エリザベス救貧法の特徴は、国家単位での救貧行政という点にあり、以降、救貧行政は国家の管轄となって中央集権化を強めていった。また、救貧法は現代社会福祉制度の出発点との評価もあるが、法の目的は貧民救済ではなくあくまで治安維持にあった。したがって貧民の待遇は抑圧的(収容と強制労働が基本)であり続けた。

<救貧法体制>
枢密院(Privy Council、中央行政機関)
┗治安判事(justice of the peace、地方行政を司る。無給の名誉職)
┗貧民監督官(overseers of the poor、2-4名。無給の名誉職で救貧の実務官)
監督官は救貧税を徴収し、税は以下の救貧行政の費用に割り振られた。
・強制労働させる労役場の維持費
・労働不能貧民の救済費
・徒弟に出す「児童」の養育費

1722年、ワークハウステスト法の成立
労役場で労働能力のある者に作業をさせる方法がとられた。
◎救貧法による救済は労役場への収容に限定されることとなった。
・労役場は、ときには健常者と病気を持つ者を分け隔てなく収容し、院内での感染もおこった。こうした待遇から脱走や労働拒否を試みる貧民はあとを絶たず、一定の社会的安定をもたらす効果はあったものの、貧困問題の根治には至らなかった。

産業革命:1733年「飛びひ」発明(紡績機械の発達の始め)。1765年、蒸気機関発明。

1782 ギルバート法制定

有能貧民の雇用斡旋や院外救済の実施。労役場は労働能力のない貧民の収容施設に。労働能力ある貧民に仕事の世話と就業までの賃金不足分を補充した。労役場中心の救貧立法から院外の居宅保護への転換を促した。

1795 スピーナムランド制度
労働貧民の賃金補助制度である。食糧価格が上昇し、労働者の実質賃金が下がったとき、扶養家族数に応じて不足分を給付した。農業労働者の低賃金が問題とされ内乱の危険があり,賃金補助制度が行われた。1834年まで続く。

1798 マルサス『人口の原理』 An Essay on the Principle of Population
*イギリスの新救貧法の思想的根拠は、マルサスの『人口の原理』(1798年)に置かれ、有効な貧困対策は、人口抑制策以外にはないとするものであった。

1834年、新救貧法(改正救貧法)の成立 
内容は、①救済水準を全国均一とする、②有能貧民の居宅保護を廃止し、救済をワークハウス(労役場)収容に限定する、③劣等処遇の原則の明示による、と決めた。

◎劣等処遇の原則 principle of less eligibility
救貧法による救済対象となる貧困者の生活水準は,労働して自活する最下層の労働者の生活よりも劣った、低いものでなければならないとする原則。1834年のイギリスの改正救貧法において三つの基本原則の一つとして示された。このような劣等処遇の原則の基底にあるのは,劣悪な処遇を与えることによって,救済を受けることを自発的に躊躇させ,救済を受ける貧困者の数を制限すると同時に,救貧事業に要する費用を節約しようとする意図があったといわれている。


2 慈善組織協会・セツルメント・YMCA テキストP47~
*産業革命後の貧困

 19世紀末、産業革命後のイギリス社会は,貧富の格差が拡大し、都市への貧民の流入と貧困地区の出現、失業と貧困、劣悪な労働環境と病気など、資本主義社会がもたらした社会問題が山積していた。
 しかし、国家としての対策は「救貧法体制」のもと、(要保護)貧民への劣等処遇の原則、労役場(ワークハウス)への収容と強制労働、治安の維持などの救貧事業に留まっていた。このような背景から、民間慈善団体の発展がはじまっていた。しかし、貧困の原因とは道徳的欠落をもつ者の自己責任であるとみなす考えが当時の社会では主流であり,多くの慈善団体が同様に、道徳的に向上させることが貧困からの脱却につながると考えており、また慈善活動が乱立する傾向(1861年にはロンドン市内に約640団体)もあって、救済の重複と救済漏れの問題が生じた。

■「隣友運動」チャルマーズ Chalmars, Thomas
・スコットランドの長老教会の牧師、神学者、経済学者

◎チャルマーズは1820年代にグラスゴー市において、教区を区分けして「隣友運動」=貧困家庭への友愛訪問(貧困者の友人として)や、社会資源の活用を含めた組織的な援助など相互扶助や自助を重視する慈善活動を実験的に始めた。民間の活動を重視する救済方法であり,その後,慈善組織協会(COS)の活動に継承された。

<YMCA 青少年活動の開始>
1844年、YMCA(Young Men's Christian Associationキリスト教青年会)が、ジョージ・ウイリアムズらによって、ロンドンで創立。 テキストP51

・祈祷会・聖書研究会を目的に設立。
①貧困な青年たちにクラブ・レクレーション活動を通じて生活技術と精神面の指導を図る
②人格的な交流を基礎とした社会教育活動
③健康で人間らしい生活の権利への意識を高める活動
なお現在YMCAは、青少年活動の支援などを行なうキリスト教の組織として、120以上の国で活動している。

1855年、YWCA(Young Women's Christian Associationキリスト教女子青年会)
 同じくイギリスで設立された。現在はキリスト教の女性団体の一つである。

1907年、ボーイスカウト設立 テキストP47

◎グループワーク実践の源流は,19世紀のイギリスやアメリカにおけるセツルメント運動,YMCAに代表される青少年団体運動,レクリエーション運動,成人教育運動,その他の社会改良運動にみられる。 

<慈善組織協会(COS)テキストP47>
1869年、慈善組織協会(COS:Charity Organization Society)の結成

 無計画に乱立した慈善活動を改善するため、慈善組織協会(COS)がロンドンに設立された。
COSはC.ロックの指導のもと当初から、無差別施与と慈善活動の乱立の弊害を防止するため、救済の適正化(救済の重複を避けるため登録制度の実施)、慈善団体の連絡と調整、協力と組織化を目的とした。また、貧民への個別訪問指導活動「友愛訪問」も行なった。
 しかし、COSは援助対象の貧民を「救済に値する貧民(好ましい人物)」と「救済に値しない貧民(好ましくない人物)」に選別・分類し(選別主義の採用),前者のみを慈善事業の対象とした。そして“貧困の原因は個人の道徳的退廃にある”といった活動理念から、物質的な援助よりも道徳的な改良によって生活改善を与えること、立ち直らせることを目指した。

*1877年、COS、アメリカ・バッファローに移入
 移入後、急速に米国各地に拡大したCOSの主な機能は,①救済申請者の綿密な調査,②救済の重複を避けるための登録制度の実施,③さまざまな救済機関の連絡調整,④「友愛訪問」と呼ばれるボランティアの活用であった。「施しではなく友人として」をモットーとしたCOSの友愛訪問等の活動はケースワークの確立に繋がった。また友愛訪問で動員されるボランティアによってケース会議がもたれたのは,今日のケースカンファレンスの原型といえる。またCOSはコミュニティワークにおいても、連絡・調整を目的とする地域組織化の原型となり、ほか社会福祉調査など、ソーシャルワークの形成に大きな影響を及ぼした。

*1882年のロンドンCOS年報にて「ケースワーク」という言葉がはじめて使用された。

■実態を明らかにする社会調査―貧困調査の開始― テキストP46
 ブースとラウントリーの調査等により、貧困の原因が社会的なものであることが検証された。
1886年~ C.ブースのロンドン調査
C.ブースのロンドン調査が1886年から1902年に行なわれた。
1899年~ B.S.ラウントリーのヨーク調査(第1回)
ラウントリーは、第1回のヨーク市調査(1899年)において、貧困線の水準を設定した。

<セツルメント>
 貧困を社会問題として捉える視点を持っていた。
*1884年、セツルメントハウス「トインビー・ホール」をロンドン東部に創設(バーネット)。
夫のサミュエル・バーネットは,1872年に司祭となり,貧困者救済委員会ホワイトチャペル地区委員として,貧困地域の救済活動に従事した。1884年,妻ヘンリエッタとともに,オックスフォード大学の学生および教授に協力をよびかけ,世界最初のセツルメント・ハウス,トインビー・ホールを創設。サミュエルは,その初代館長となった。若き経済史学者トインビーを記念して名づけた。

■アダムズのハルハウス―米国のセツルメント― テキストP45
*1886年,ニューヨークの「ネイバーフッド・ギルド」の創設がアメリカでのセツルメントの嗜矢となった。
*1889年、「ハル・ハウス(Hull House)」開設、J. アダムスによるシカゴのセツルメント
 開設当初は,博愛主義に基づく穏健な地域活動で,保育園,少年クラブ等の教育的なプログラムが中心であったが,社会改良思想家等が参画して以降,革新的な社会運動的側面を有するようになり,児童労働保護運動,少年裁判所設置,児童相談所の設置等の児童福祉に関連する諸問題に活動の力点をおいた。



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*1853年、(ドイツ)エルバーフェルト制度
ドイツの貧民救済制度であり、1853年にエルバーフェルト市(現・ブッパータール市)の条例に基づいて実施され,その後ドイツ各地で実施されるようになった。ドイツの貧民救済制度としては,1788年にハンブルグ制度が実施されていたが,エルバーフェルト制度では,地域を細分して各地区に無給の名誉職としての救済担当者が配置され,この救済担当者が貧困家庭の訪問,調査,相談などケースワーク的手法を用いて援助を行うこととされた。

*ブースBooth, Charles (1840-1916)
 社会改良を目的とする社会調査の先駆者である。私財を投じて「ロンドン調査」として知られる貧困調査を行い,その結果を『ロンドン市民の生活と労働』(Life and Labour of the People in London, 17 vols., 1902-03)として報告した。貧困問題がたんに慈善の対象ではなく,国家の施策として取り組むべきものであることを明らかにし,無拠出年金制を提案。救貧法に関する王立委員会に参加し,救貧法の抑圧的方法を批判するなど,20世紀初頭のイギリス救貧行政に貢献した。

*ラウントリー (1871-1954)
 イギリスの社会調査家。ローントリーとも表記される。ヨーク市で貧困線と最低生活費の測定を行うとともに,労働者のライフサイクルと生活水準の間に周期的な変動があることを明らかにした。また,生活保護基準算定のマーケット・バスケット方式の考案者として,わが国にも影響を与えた。

*第一次貧困/第二次貧困
ラウントリーが,『貧乏――地方都市生活の研究』(1901)で,貧困層の量だけでなく質を把握するために用いた,貧困の区分。第一次貧困とは,世帯の総収入が,家族員のたんなる肉体的能率を維持するための最小限度にも足りないほどの貧困であり,第二次貧困とはその収入の一部が他の費途に転用されないかぎり,たんなる肉体的能率を保持できる程度の貧困をさす。

■セツルメント settlement テキストP44
セツルメントとは「殖民、住み込む」を意味し,貧困に苦しむ労働者居住地区に、教養と人格を兼備する知識人(当時の大学生など)などが「住み込む」活動である。「レジデント」が住み込み、住民・労働者と知的及び人格的接触を通じて、福祉の向上を図る地域活動である。具体的には、住民・労働者たちと共同で、貧困調査、労働者会議、成人教育、共同保育所、法律・市民相談、学習・レクリエーションのグループ活動といった生活環境の改善など、地域活動と社会改良運動を展開した。
 その理念はエドワード・デニソンによって慈善事業のなかで形成された。知識人が殖民し、スラム住民の教育を通じた人格の回復と、知識人には貧困解決のためにの社会改良の必要性の認識を図るものである。

◎J.アダムス Addams, Jane (1860-1935)
 ロックフォード女学院卒業後,一度医師をめざすが病のため断念し,1889年にシカゴ市のスラム街でセツルメント,ハル・ハウスを創設する。その後アメリカでセツルメントを普及させ,社会改良の近代化に貢献した。1920年代以降は,平和と女性の運動に力を注ぎ,日本を含む世界各国を視察し,女性運動家等に大きな影響を及ぼした。1931年ノーベル平和賞を受ける。[主著] “The Objective Value of a Social Settlement”, 1893 ; Twenty Years at Hull-House, 1910.

*解説:社会改良  social reform
社会問題や社会の矛盾を解決するために,革命という急進的な手段で社会体制を変えるのではなく,欠陥を是正し,修正するなどの漸進的な方法で社会を改善しようとすること。19世紀末から20世紀初頭にかけてのソーシャル・セツルメント運動などが代表であり,教育・宣伝的方法,議会活動などを通して,社会政策や社会福祉政策などに影響を与えることを目的としている。
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by yrx04167 | 2010-09-27 12:15 | Comments(0)