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2010年 09月 27日 ( 2 )

<日刊 社会福祉ニュース ソーシャル・ニュース・レビュー>
関連ニュース・クリップ*特集:地域福祉・コミュニティ
 筆者による、社会福祉関連の動向、情報のブックマーク

<下記の各記事タイトル(赤色)をクリックすると、全文が読めます>
乳児院、虐待増え満杯 7県市33人が越境入所…本社調査 : 育児ニュース : YOMIURI ONLINE(読売新聞)2010年9月27日
 親と暮らせない乳幼児を預かる乳児院が都市部を中心に満杯状態となり、他都府県の施設に預けた子供が全国で33人(2009年度)に上ることが、読売新聞の調査でわかった。乳児院の子供の3人に1人が虐待を受けていたとみられ、保護者による虐待増加が背景にある。都道府県と政令市を対象にした本紙調査で「管内の乳児院が満杯となり、他都府県の施設に入所させた」としたのは5県2市。内訳は埼玉県20人、川崎市4人、滋賀県、さいたま市3人、千葉、山梨、香川県1人。受け入れ先は東京都27人、群馬県、京都府2人、奈良、徳島県1人だった。預けた後も児童相談所職員や保護者らは何度も施設に足を運ぶため、離れていると負担は大きいという。厚生労働省によると、全国の乳児院数と入所者数は、1996年が117か所2644人、2008年は121か所3124人。この間、平均入所率は71%から84%に上昇し、08年10月時点で100%以上の自治体は5県2市、90%以上も14道府県11市に達した。一部の自治体では施設不足が常態化しているが、多くは「将来の入所者数を予測しにくい」として施設の拡充には慎重だ。年間入所率が90%を下回ると、国の運営費が削られることも、増設に踏み切れない一因となっている。
 乳児院とは、児童福祉法に基づく児童福祉施設。児童養護施設が主に2歳以上を養育するのに対し、おおむね0~2歳の乳幼児を預かる。社会福祉法人などが設立し、主に国と自治体からの事業費などで運営している。

県総合防災訓練、福祉避難所を設置|中南信ダイジェスト|信濃毎日新聞[信毎web] 9月27日(月)
 26日に安曇野市で開かれた県総合防災訓練では、災害時の避難所に特別な配慮が必要な障害者らのための「福祉避難所」の設置、運営も訓練した。会場の同市豊科南中学校の体育館には、市内の障害者やその家族らでつくる5団体から約50人が集まり、避難所でどんな支援が必要か、どんな工夫をすれば快適に生活できるかを考えた。

東京に福祉施設製品ショップ 県内からはマヨやせっけん - マイタウン長野 asahi.com :10年9月27日
 長野県内を始め、全国各地の福祉施設で作られている食品や工芸品などを集めて販売する店が、東京都杉並区にできた。店名は「にぎやかな風」。店長の茶谷恒治さん(38)が全国を歩き、障害のある人が手間ひまかけて作った約220品をそろえた。県内からも、手作りマヨネーズや肌に優しいせっけんなどが店頭に並ぶ。「売る場所」を増やすことで、障害者の工賃アップにつなげたいという。 「障害者産品のセレクトショップ」が実現した。 厚生労働省によると、福祉作業所などと言われる施設は全国に約4千カ所あり、約9万人が働いている。ただ、平均工賃は月1万9千円ほどにとどまっている。茶谷さんは「どこも売る場所がないのが悩み。それを解消できれば工賃も上がり、彼らの自立に近づく」と考えた。「障害者は、手間ひまかけて商品を作っている」と茶谷さん。昨春から仕入れ先を探して全国を訪ね歩き、それを改めて実感したという。

岡山で「成年後見」県民フォーラム 弁護士ら担い手不足の懸念指摘 - 山陽新聞地域ニュース9/26 23:30
 認知症や障害で判断能力が不十分な人の財産管理や福祉契約を代行する成年後見制度について考える県民公開フォーラムが26日、岡山市北区柳町の山陽新聞社で開かれ、弁護士や行政書士らが制度の課題や現状を話し合った。2000年4月のスタートから10年を迎えた同制度への関心を高めようと、県行政書士会とNPO法人おかやま成年後見サポートセンターが初めて主催した。県内の弁護士や福祉職でつくる高齢者・障害者支援ネットワーク理事長の竹内俊一弁護士や同センターの川口隆志理事長、社会福祉士ら5人がパネルディスカッション。後見人になるための申し立て手続きの煩雑さや高齢化社会が進む中で今後の担い手不足が懸念されるなどの課題を挙げ、「受け皿を広げるため(親族や弁護士ら以外の第三者が後見人となる)市民後見人を増やすことが大切」と意見を出し合った。

障害者スポーツ大会 リレーなどで汗 三重 - MSN産経ニュース2010.9.27 02:07
 名張市の障害者福祉施設の利用者らが体のハンディにもめげずに家族や介護者らといっしょに心地よい汗を流す同市障害者スポーツ大会が26日、約590人が参加して同市夏見の市総合体育館で行われた。今回で10回目を迎え、市内の各施設や市社会福祉協議会などで組織する同大会実行委員会の主催。午前の部では車いすの障害者がさおで菓子の入った袋を釣り上げたり、大きな鞠を転がしてコースを折り返すリレーに懸命に取り組んだ。午後の部では輪投げやグラウンドゴルフなどを体験したほか紅白の玉入れなどが行われ、参加者はスポーツの秋の一日を満喫した様子だった。


<社会福祉士の仕事 Web オリエンテーション 下記をクリック>
社会福祉士の資格と仕事<社会福祉士 Web オリエンテーション・全般の解説>

社会福祉士 Webオリエンテーション 各分野の紹介1 医療ソーシャルワーカー
社会福祉士 Webオリエンテーション 各分野の紹介2―児童福祉
社会福祉士 Webオリエンテーション 各分野の紹介3―高齢者福祉
社会福祉士の資格・仕事 Web オリエンテーション 各分野の紹介4-社会福祉行政機関
社会福祉士 Web オリエンテーション 各分野の紹介 5 貧困・低所得者支援と生活保護の施設・事業
社会福祉士 Web オリエンテーション 各分野の紹介6 地域福祉 コミュニティ・ワーク

*社会福祉士とは・・・ 「社会福祉士及び介護福祉士法」により定められた、相談援助、運営管理等、ソーシャルワークに携わる専門職の国家資格です。
 各種の相談機関、福祉行政機関、福祉施設・団体、医療機関などにおいて,専門的知識と技術をもって,福祉サービス利用者の相談援助や,地域への援助、施設・団体の運営管理等を行う社会福祉専門職です。
 児童、医療、コミュニティ、障害者、貧困・低所得、女性、高齢者等、多岐にわたる領域で、他者を支え、社会に貢献する仕事・職業です

*日本福祉教育専門学校 社会福祉士養成学科は、4年制大学卒業(見込)等の方々が対象の、1年制の社会福祉士の養成コースの昼間部です
 また、社会福祉士養成科は、4年制大学卒業(見込)等の方々が対象の、1年制の社会福祉士の養成コースの夜間部です
 日本福祉教育専門学校 社会福祉士養成学科・養成科


*進路検討中の皆様にお知らせ-説明会-
9月28日19時から「社会福祉士の役割と展望」 日本福祉教育専門学校|イベント
*社会福祉士=相談援助の専門職 になるには-
 相談援助の専門職=社会福祉士の資格、役割と展望、当学科・カリキュラム等について、その概要を専任教員が、ご説明します。ご質問も歓迎です!!
 社会福祉士に関心をお持ちの皆さま、どなたでもお気軽にご参加ください!!

 ■会場:日本福祉教育専門学校 高田馬場校舎
参加費:無料(どなたでも参加できます。)

<お問い合わせ・参加申し込み先  下記のフォームをクリック>
 学校法人敬心学園 日本福祉教育専門学校
 電話:0120-166-255

<交通アクセス>
JR山手線・東京メトロ東西線・西武新宿専「高田馬場駅」徒歩7分
 案内図です

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相談援助の基盤と専門職 後期第1回 講義レジュメ 
3章 相談援助の形成過程Ⅰ
1節 ソーシャルワークの源流(2)テキストP45
*社会変動に伴う対応
<初期の救貧の法制>

 16世紀になり、住居を喪失した貧民が増加した。これには、農地の囲い込み・自営農家(ヨーマン)の減少・食糧不足等の影響があった。ヘンリー8世の治下、1531年には王令によって貧民を、病気等のために働けない者と怠惰ゆえに働かない者に分類し、前者には物乞いの許可をくだし、後者には鞭打ちの刑を加えることとした。1536年、この王令は成文法化され、物乞いを禁止した。
その後、1572年、健常者貧民への笞打ちなどを禁じ、各教区・都市に救貧監督官をおいた。

*エリザベス救貧法の完成 (1601年)
<ポイント>

・労働能力の有無を基準に、①有能貧民、②無能力貧民、③児童の3種類に分け、就労を強制したり、教区徒弟として送り出した。救貧法に基づく制度は、教区ごとに救貧税を徴収して救貧事業を行うものであった。
<解説>
 都市における住居喪失者、貧民の増加などにより、イギリスでは「物乞い」行為に関する禁止・許可制に関する救貧立法、また各地方の個別の救貧行政が行なわれていたが、手に余る教区・都市も出始めていた。
 そこで1601年、「エリザベス救貧法」として知られる救貧立法の集大成がなされた。

◎エリザベス救貧法は当時の公的救済制度の基本法であり、教区を救貧行政の単位とし,治安判事の監督のもとで,貧民監督官が貧民の保護・監督の責任を負い,その費用としての救貧税の課税・徴収を行った。労働能力のない貧民には扶助が与えられ,労働能力のある貧民には就労が強制され,これを拒否する場合は処罰された。両親に扶養義務を期待できない児童は徒弟にだされた。
・エリザベス救貧法の特徴は、国家単位での救貧行政という点にあり、以降、救貧行政は国家の管轄となって中央集権化を強めていった。また、救貧法は現代社会福祉制度の出発点との評価もあるが、法の目的は貧民救済ではなくあくまで治安維持にあった。したがって貧民の待遇は抑圧的(収容と強制労働が基本)であり続けた。

<救貧法体制>
枢密院(Privy Council、中央行政機関)
┗治安判事(justice of the peace、地方行政を司る。無給の名誉職)
┗貧民監督官(overseers of the poor、2-4名。無給の名誉職で救貧の実務官)
監督官は救貧税を徴収し、税は以下の救貧行政の費用に割り振られた。
・強制労働させる労役場の維持費
・労働不能貧民の救済費
・徒弟に出す「児童」の養育費

1722年、ワークハウステスト法の成立
労役場で労働能力のある者に作業をさせる方法がとられた。
◎救貧法による救済は労役場への収容に限定されることとなった。
・労役場は、ときには健常者と病気を持つ者を分け隔てなく収容し、院内での感染もおこった。こうした待遇から脱走や労働拒否を試みる貧民はあとを絶たず、一定の社会的安定をもたらす効果はあったものの、貧困問題の根治には至らなかった。

産業革命:1733年「飛びひ」発明(紡績機械の発達の始め)。1765年、蒸気機関発明。

1782 ギルバート法制定

有能貧民の雇用斡旋や院外救済の実施。労役場は労働能力のない貧民の収容施設に。労働能力ある貧民に仕事の世話と就業までの賃金不足分を補充した。労役場中心の救貧立法から院外の居宅保護への転換を促した。

1795 スピーナムランド制度
労働貧民の賃金補助制度である。食糧価格が上昇し、労働者の実質賃金が下がったとき、扶養家族数に応じて不足分を給付した。農業労働者の低賃金が問題とされ内乱の危険があり,賃金補助制度が行われた。1834年まで続く。

1798 マルサス『人口の原理』 An Essay on the Principle of Population
*イギリスの新救貧法の思想的根拠は、マルサスの『人口の原理』(1798年)に置かれ、有効な貧困対策は、人口抑制策以外にはないとするものであった。

1834年、新救貧法(改正救貧法)の成立 
内容は、①救済水準を全国均一とする、②有能貧民の居宅保護を廃止し、救済をワークハウス(労役場)収容に限定する、③劣等処遇の原則の明示による、と決めた。

◎劣等処遇の原則 principle of less eligibility
救貧法による救済対象となる貧困者の生活水準は,労働して自活する最下層の労働者の生活よりも劣った、低いものでなければならないとする原則。1834年のイギリスの改正救貧法において三つの基本原則の一つとして示された。このような劣等処遇の原則の基底にあるのは,劣悪な処遇を与えることによって,救済を受けることを自発的に躊躇させ,救済を受ける貧困者の数を制限すると同時に,救貧事業に要する費用を節約しようとする意図があったといわれている。


2 慈善組織協会・セツルメント・YMCA テキストP47~
*産業革命後の貧困

 19世紀末、産業革命後のイギリス社会は,貧富の格差が拡大し、都市への貧民の流入と貧困地区の出現、失業と貧困、劣悪な労働環境と病気など、資本主義社会がもたらした社会問題が山積していた。
 しかし、国家としての対策は「救貧法体制」のもと、(要保護)貧民への劣等処遇の原則、労役場(ワークハウス)への収容と強制労働、治安の維持などの救貧事業に留まっていた。このような背景から、民間慈善団体の発展がはじまっていた。しかし、貧困の原因とは道徳的欠落をもつ者の自己責任であるとみなす考えが当時の社会では主流であり,多くの慈善団体が同様に、道徳的に向上させることが貧困からの脱却につながると考えており、また慈善活動が乱立する傾向(1861年にはロンドン市内に約640団体)もあって、救済の重複と救済漏れの問題が生じた。

■「隣友運動」チャルマーズ Chalmars, Thomas
・スコットランドの長老教会の牧師、神学者、経済学者

◎チャルマーズは1820年代にグラスゴー市において、教区を区分けして「隣友運動」=貧困家庭への友愛訪問(貧困者の友人として)や、社会資源の活用を含めた組織的な援助など相互扶助や自助を重視する慈善活動を実験的に始めた。民間の活動を重視する救済方法であり,その後,慈善組織協会(COS)の活動に継承された。

<YMCA 青少年活動の開始>
1844年、YMCA(Young Men's Christian Associationキリスト教青年会)が、ジョージ・ウイリアムズらによって、ロンドンで創立。 テキストP51

・祈祷会・聖書研究会を目的に設立。
①貧困な青年たちにクラブ・レクレーション活動を通じて生活技術と精神面の指導を図る
②人格的な交流を基礎とした社会教育活動
③健康で人間らしい生活の権利への意識を高める活動
なお現在YMCAは、青少年活動の支援などを行なうキリスト教の組織として、120以上の国で活動している。

1855年、YWCA(Young Women's Christian Associationキリスト教女子青年会)
 同じくイギリスで設立された。現在はキリスト教の女性団体の一つである。

1907年、ボーイスカウト設立 テキストP47

◎グループワーク実践の源流は,19世紀のイギリスやアメリカにおけるセツルメント運動,YMCAに代表される青少年団体運動,レクリエーション運動,成人教育運動,その他の社会改良運動にみられる。 

<慈善組織協会(COS)テキストP47>
1869年、慈善組織協会(COS:Charity Organization Society)の結成

 無計画に乱立した慈善活動を改善するため、慈善組織協会(COS)がロンドンに設立された。
COSはC.ロックの指導のもと当初から、無差別施与と慈善活動の乱立の弊害を防止するため、救済の適正化(救済の重複を避けるため登録制度の実施)、慈善団体の連絡と調整、協力と組織化を目的とした。また、貧民への個別訪問指導活動「友愛訪問」も行なった。
 しかし、COSは援助対象の貧民を「救済に値する貧民(好ましい人物)」と「救済に値しない貧民(好ましくない人物)」に選別・分類し(選別主義の採用),前者のみを慈善事業の対象とした。そして“貧困の原因は個人の道徳的退廃にある”といった活動理念から、物質的な援助よりも道徳的な改良によって生活改善を与えること、立ち直らせることを目指した。

*1877年、COS、アメリカ・バッファローに移入
 移入後、急速に米国各地に拡大したCOSの主な機能は,①救済申請者の綿密な調査,②救済の重複を避けるための登録制度の実施,③さまざまな救済機関の連絡調整,④「友愛訪問」と呼ばれるボランティアの活用であった。「施しではなく友人として」をモットーとしたCOSの友愛訪問等の活動はケースワークの確立に繋がった。また友愛訪問で動員されるボランティアによってケース会議がもたれたのは,今日のケースカンファレンスの原型といえる。またCOSはコミュニティワークにおいても、連絡・調整を目的とする地域組織化の原型となり、ほか社会福祉調査など、ソーシャルワークの形成に大きな影響を及ぼした。

*1882年のロンドンCOS年報にて「ケースワーク」という言葉がはじめて使用された。

■実態を明らかにする社会調査―貧困調査の開始― テキストP46
 ブースとラウントリーの調査等により、貧困の原因が社会的なものであることが検証された。
1886年~ C.ブースのロンドン調査
C.ブースのロンドン調査が1886年から1902年に行なわれた。
1899年~ B.S.ラウントリーのヨーク調査(第1回)
ラウントリーは、第1回のヨーク市調査(1899年)において、貧困線の水準を設定した。

<セツルメント>
 貧困を社会問題として捉える視点を持っていた。
*1884年、セツルメントハウス「トインビー・ホール」をロンドン東部に創設(バーネット)。
夫のサミュエル・バーネットは,1872年に司祭となり,貧困者救済委員会ホワイトチャペル地区委員として,貧困地域の救済活動に従事した。1884年,妻ヘンリエッタとともに,オックスフォード大学の学生および教授に協力をよびかけ,世界最初のセツルメント・ハウス,トインビー・ホールを創設。サミュエルは,その初代館長となった。若き経済史学者トインビーを記念して名づけた。

■アダムズのハルハウス―米国のセツルメント― テキストP45
*1886年,ニューヨークの「ネイバーフッド・ギルド」の創設がアメリカでのセツルメントの嗜矢となった。
*1889年、「ハル・ハウス(Hull House)」開設、J. アダムスによるシカゴのセツルメント
 開設当初は,博愛主義に基づく穏健な地域活動で,保育園,少年クラブ等の教育的なプログラムが中心であったが,社会改良思想家等が参画して以降,革新的な社会運動的側面を有するようになり,児童労働保護運動,少年裁判所設置,児童相談所の設置等の児童福祉に関連する諸問題に活動の力点をおいた。



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